みなづきのつごもりの日よめる | 凡河内躬恒 | |||
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"かたへ" は、「片方へ」という方向を指すものではなく、一語の名詞で「片側」ということのようだが、具体的なイメージを固定するのは難しい。 「かよひぢ」という言葉を使った歌には 465番の在原滋春の「春霞 なかしかよひぢ なかりせば」という歌や、632番の在原業平の「人知れぬ 我がかよひぢの 関守は」という歌があるが、この躬恒の「空のかよひぢ」は、559番の藤原敏行の「夢のかよひぢ」と、872番の良岑宗貞(=僧正遍照)の「雲のかよひぢ」と並んで、古今和歌集の三大通路と言ってよいだろう。 「通る」ということでは、季節を冬と春の間に移して、この歌を矮小化したようなものに次の清原深養父の誹諧歌がある。 |
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( 2001/11/15 ) (改 2004/03/11 ) |
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