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       仁和のみかどの、みこにおはしましける時に、御をばの八十の賀にしろがねを杖につくれりけるを見て、かの御をばにかはりてよみける 僧正遍照  
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   ちはやぶる  神や切りけむ  つくからに  千歳の坂も  越えぬべらなり
          
     
  • ちはやぶる ・・・ 神にかかる枕詞
  • つくからに ・・・ つけばたちまち
詞書の意味は、「光孝天皇が親王であった時、親王がその叔母の八十の賀に銀の杖を作って贈ったのを見て、その叔母に代わり喜びを詠った」歌、ということ。その叔母が誰かは特定できないが、光孝天皇の母である藤原沢子の妹で藤原基経や高子の母である乙春(生没年不詳)ではないかと言われている。ただ、光孝天皇は五十五歳で即位しているが、「みこにおはしましける時」にその叔母が八十歳だとすると、当時親王が五十五歳としても二十五歳差ということになり、母の妹としては年が離れすぎているような気もする(光孝天皇が830年生、藤原高子が842年生、+25以上とすると高子を産んだとき乙春は三十七歳以上ということになる)。

  本居宣長は「古今和歌集遠鏡」で、「をば(小母)」は 「おば(大母=祖母)」の仮名の書き間違いではないだろうか、と言っている(「
御をばは御祖母なるべしおの仮字を書べき也」)。光孝天皇の父方の祖母(=仁明天皇の母)は橘嘉智子(786-850)で没年六十五歳なので、祖母の可能性があるとすると母方の祖母(=藤原沢子の母)の藤原数子(生没年不詳)か。

  歌の意味は、
この杖は神様が切り出したものでしょうか、ついて歩けばたちまち千歳の坂さえ越えられるに違いありません、ということ。 「しろがねの杖」ということでは 「竹取物語」でかぐや姫が車持皇子に 「東の海に蓬莱といふ山あなり。それに白銀を根とし、黄金を茎とし、白玉を実として立てる木あり。それ一枝折りて給はらむ」と言ったという話が連想される。

  "つくからに" は、それを持てばたちまち元気が沸き起こり...というニュアンスか。 「からに」という言葉を使った歌の一覧は 249番の歌のページを参照。

  「ちはやぶる」という枕詞を使った歌の一覧については 254番の歌のページを、「べらなり」という言葉を使った歌の一覧については 23番の歌のページを参照。

 
( 2001/12/07 )   
(改 2004/03/08 )   
 
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