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このようにして、ともかくも長らえて、あなたが八千代に生きる姿を目にするすべがあればよいのに、という歌。
仁和帝(にんわのみかど)は光孝天皇。 830年生れ 887年没。没年五十七歳。仁明天皇の第三皇子で、884年二月に五十五歳で即位した。僧正遍照は仁明天皇に仕え、その崩御(850年)によって出家した。遍照の七十の賀は 885年十二月のことである。この時仁明天皇は五十六歳、つまり遍照より十四歳年が若い。しかし、 "君が八千代に あふよしもがな" と言った光孝天皇はその二年後(887年)亡くなっており、遍照の死(890年)よりも早かった。よって、この歌の "とにもかくにも" という言葉も、単なる飾りではないように受け取れる。
古今和歌集の配列では続けて、「仁和のみかどの、みこにおはしましける時に、御をばの八十の賀にしろがねを杖につくれりけるを見て、かの御をばにかはりてよみける」という詞書のある348番の遍照の「つくからに 千歳の坂も 越えぬべらなり」という歌を載せている。
"あふよし" の 「よし(由)」は 「手段・方法・理由・縁故」などの意味があり、古今和歌集の中では、次のような歌で使われている。
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