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藤原満子が兄の藤原定国の四十の賀をした時(905年二月)の屏風絵につけられた歌で、古今和歌集には作者名が明記されていないが、「拾遺和歌集」巻十七1112に「躬恒」とあり、「躬恒集」にも含まれているので躬恒の歌とされる。これについて、賀茂真淵「古今和歌集打聴」では、「此うた六帖には素性とあれど歌ざま必躬恒にてしかも家集家隆卿の本にもいちじるき也」 とまで書かれている。しかし、どうも歌の格調の高さからは、躬恒の歌ではないような気がする。
"吹くからに" は、吹くにつれて、吹くとすぐ、という意味。 「からに」という言葉を使った歌の一覧は 249番の歌のページを参照。 "うちそふる" の 「うち」は動きを表し、言葉に調子をつけるための接頭語である。また、424番の「浪の打つ 瀬見れば玉ぞ 乱れける」という在原滋春の 「うつせみ」の物名の歌などを見ると、「浪が打つ(=打ち寄せる)」ということにも掛けているようである。接頭語「うち」が使われている歌の一覧については 12番の歌のページを参照。
住ノ江の松に秋風が吹くと、合わせて音を響かせる沖の白波、という歌。 586番の「秋風に かきなす琴の 声にさへ」という忠岑の歌と並べて見ると、「秋風」を 「琴(キン)」、「白波」を 「瑟(シツ)」に譬え、「琴瑟相和す」(「詩経」:夫婦の仲がむつまじいこと)ということを表しているような感じでもあり、「住ノ江の松」を詠みつつ、秋風と沖の白浪をうまく合わせた隙のない歌である。
"沖つ白浪" という言葉を使った他の歌としては、伊勢物語の第二十三段の 「井筒」で有名な次の読人知らずの歌と、在原元方の恋歌の二つがある。
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