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       越の国へまかりける時、しら山を見てよめる 凡河内躬恒  
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   消えはつる  時しなければ  越路なる  白山の名は  雪にぞありける
          
        消え果てることがないので、越路にある白山の名前は雪から来ているのだ、という歌。名には聞く白山をはじめて見ての歌だろう。

  645番の「君やこし 我や行きけむ」という歌にあるように、「来(こ)し」の 「し」は過去を表わす助動詞「き」の連体形である。 「き」は普通、活用語の連用形に付くが、その連体形「し」はカ変の 「来(く)」の場合、その未然形「来(こ)」にも付く。よって 「来(こ)し」となるのである。それをこの躬恒の歌に当てはめれば、「越路−来し」/「雪−行き」という対になって、「来し」という名の越路にある白山の名は、実は 「行き」だったのだ、という駄洒落含みであるとも考えられなくもない。

  その線で考えるとこの歌は「あふ坂は 人だのめなる 名にこそありけれ」という 390番の貫之の離別歌とつながるものがあるようにも思える。

  「白山」を詠った歌の一覧は 383番の歌のページを、「〜にぞありける」という表現を使った歌の一覧は 204番の歌のページを参照。
 
( 2001/12/03 )   
(改 2004/02/09 )   
 
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