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       うぐひす 藤原敏行  
422   
   心から  花のしづくに  そほちつつ  うくひすとのみ  鳥の鳴くらむ
          
     
  • 心から ・・・ 自ら
  • そほちつつ ・・・ 濡れながら
  この歌は「
ウクヒスとのみ」の部分に題を含む物名の歌であるが、他の多くの物名のパターンとは異なり、歌の地の言葉として 「憂く干ず」が生きており、 453番の真静法師の 「わらび」の歌と同じく、どちらかというとただの掛詞のように見える。ただ、これが物名の部の先頭の歌であり、はじめから例外と思えるパターンを置いてくるのは、古今和歌集らしいと言えば古今和歌集らしい。

  表面的な意味は、
自分から花の雫に濡れながら、どうして 「嫌だ、乾かない」とばかり鳥が鳴くのか、ということ。 「うぐひす−憂く干ず」という物名の部分を中心として、小さなウグイスが花の近くで翼を震わせているイメージを映し出している。古今和歌集の配列では、続けて同じ敏行の次の 「ほととぎす」の歌が並んでいる。

 
423   
   くべき ほど   時す ぎぬれや  待ちわびて  鳴くなる声の  人をとよむる
     
        その次の物名の歌は 「うつせみ」であって、秋、冬と続くわけではないが、同じ作者で、春の鳥(ウグイス)、夏の鳥(ホトトギス)と合わせてあるのは面白い。さらに 「ウグイス−ホトトギス」という組み合わせで気になることは、

  (A)  古今和歌集の時代もホトトギスはウグイスに托卵していたのだろうか
  (B)  またそうだとして、歌を詠む人々はそれを知っていたのだろうか

ということである。

 
     
  ウグイスとホトトギスの関係について知るには、「郭公 カッコウ −日本の托卵鳥−」 吉野俊幸  (1999 文一総合出版  ISBN 4-8299-1164-6) という写真集がわかりやすい。

  ホトトギスのメスは、ウグイスが巣を離れる隙を狙って、その中の卵を一つ取り出し、代わりに自分の卵を一つ生む。卵の色はどちらも斑のない茶色なので、見た目には同じように見える。この時点では複数のウグイスの卵の中にホトトギスの卵が混じっている状態である。

  ホトトギスの卵はウグイスの卵より先に孵化し、生まれたヒナはすぐに同じ巣にある他の卵を背中で押して外にはじき出す。こうしてウグイスの巣の中には、一羽のホトトギスのヒナだけが残ることになる。親のウグイスは本能でそのホトトギスのヒナに餌を与えつづけ、それが羽化してホトトギスの姿になっても、それが巣立ちして自分から出てゆくまで(恐らく何かおかしいなと思いながらも)世話をする。ウグイスが自分より大きくなったホトトギスに餌づけをしている姿は不思議なものである。

  もちろんこの托卵が必ず成功するわけではなく、感のいいウグイスに見破られて、卵を処理されてしまうこともある。またホトトギスはウグイス以外の鳥にも托卵することがある。いずれにせよ、別種の鳥の巣の中に卵を生んで、それを育てさせるというホトトギス(やカッコウなど)の生存戦略は、はたして効率がいいのか悪いのか、よくわからないところである。


 
        古今和歌集の中には、それに関する歌は採られていないが、古今和歌集より古い万葉集には巻九1755番に「鴬の  生卵(かひご)の中に  霍公鳥(ほととぎす)  独り生れて...」という高橋虫麻呂の歌がある(歌の全文については 141番を参照のこと)。 特に 「独り生れて」という部分がホトトギスのヒナの習性を詠っているものであるとしたら興味深い。

  よって上記の(A)についてはYESであり、(B)についてもどれだけ関心があったかは別として、知っている人は知っているという状況であったのではないかと思われる。

  鳥などが 「〜というように鳴いている」という歌の一覧は 1034番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/15 )   
(改 2004/02/17 )   
 
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