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秋の野に、妻のない鹿が長い間、どうして自分の恋に効果がないのかと 「かいよ」と鳴いている、という歌。最後の駄洒落は微妙だが、全体的に言葉の転がし方が心地よい歌である。
紀淑人(よしひと)は紀長谷雄(はせお)の次男で紀淑望の弟。909年蔵人、913年従五位下、925年従五位上、生没年不明。古今和歌集に採られている歌はこの誹諧歌のみ。
"かひよ" が鹿の鳴き声の擬音で、そこに 「効(かい:効果があること)」が掛けられている。この 「かひ」を使った歌としては、1067番の「山のかひある 今日にやはあらぬ」という躬恒の 「猿」の歌が思い出される。この歌では、"なぞ" という言葉の位置付けがわかりづらく、「なぞ(我が恋のかひよ)とぞ鳴く」なのか、「(なぞ、我が恋のかひよ)とぞ鳴く」なのか、説が分かれている。
順を追って考えてみると、まず一番元にあるのは 「鹿が−かひよと鳴く」ということである。この 「かひよ」は、「鳴く」が 「泣く」につながるとすれば、「恋する甲斐がどこにあるのか」という嘆きであると考えられる。よって、「なぞ我が恋の」という部分までを鹿の嘆きと見て、「(なぞ、我が恋のかひよ)とぞ鳴く」という方が自然であると考えられる。 「なぞ」という言葉を使った歌の一覧は 232番の歌のページを参照。次の藤原敏行の誹諧歌も、ホトトギスの声を詠っているという点でこの歌と似ているが、その意図はさらにわかりづらい。
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