Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻十二

       題しらず 紀貫之  
598   
   紅の  ふりいでつつ  なく涙には  袂のみこそ  色まさりけれ
          
        つらい思いから出る紅の涙を流して泣く時には、衣の袂の部分だけ、色が濃くなっています、という歌。紅を 「ふり出づ」というのは、紅を振って染めるということで、22番の歌で 「袖ふりはへて」と同じく、ここでは 「振る」が 「袂」の縁語として使われている。 「泣く/鳴く」に掛けて、血の涙を流す(=激しく泣く)という意味で使っているものに次の読人知らずの夏歌がある。

 
148   
   思ひいづる  ときはの山の  郭公  唐紅の    ふりいでてぞ鳴く  
     
        ただし、本居宣長は 「古今和歌集遠鏡」の中で、この貫之の歌と上記のホトトギスの歌を比較して、「初ニ句。夏の部に。からくれなゐのふり出てぞなく。とあるとは意異也。この歌にては。紅といふに用あり。」と言っている。

  つまり、ホトトギスの歌の方では、メインは 「ぞ」で強調されている 「ふり出でてなく」でその声の激しさを詠ったもので、「唐紅」は添え物。一方この貫之の歌では、「紅(の涙)」がメインであって 
「ふり出でつつなく」はいわばそのフォローである、ということか。続く次の歌も貫之のもので 「紅の涙」を詠っている。

 
599   
   白玉と  見えし 涙も   年ふれば  唐紅に   うつろひにけり
     
        また、衣のある部分が色が変わるということでは、やはり貫之の次の歌が思い出される。気持ちは目に見えないものなので、それを歌により色として表すという方向で詠まれたものであろう。

 
572   
   君恋ふる  涙しなくは  唐衣  胸のあたりは  色もえなまし  
     
        「紅」を詠った歌の一覧は 723番の歌のページを参照。

 
( 2001/09/27 )   
(改 2004/03/06 )   
 
前歌    戻る    次歌