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       やよひのついたちよりしのびに人にものらいひてのちに、雨のそほ降りけるによみてつかはしける 在原業平  
616   
   起きもせず  寝もせで夜を  明かしては  春のものとて  ながめくらしつ
          
        詞書の意味は、「旧暦三月一日から密かに女と逢っていた後、雨がしとしとと降っている時に詠んでおくった」歌ということ。 「ものらいひて」は 「物ら言ひて」で、「直接逢う」ということをぼかした表現と考えられる。745番の藤原興風の歌の詞書にも「いとしのびにあひてものらいひける間に」と使われている。ただし、古今和歌集の配列の流れから、ここでは単に話を交わしただけと見る説もある。 「そほ降る」は雨がしとしと降るということ。次の藤原敏行の歌でも使われている。

 
639   
   明けぬとて  かへる道には  こきたれて  雨も涙も    降りそほちつつ  
     
        歌の意味は、起きてもいず、寝てもいない状態で夜を明かしては、この雨を春のものと眺めて過ごした、ということだが、歌の後半が何を言っているのかわかりづらい。わかる点とわかからない点を整理してみると、まず、わかる点は
  • "ながめ" に 「長雨−眺め」を掛けている
  • "春のものとて" というのは、「眺め暮らしつ」と言いたいためのいわば序詞である
  • "くらしつ" の 「つ」は完了の助動詞である
ということで、「長雨」が 「春のもの」であることは 113番の小野小町の「わが身世にふる ながめせしまに」という歌が春歌下に分類されていることからわかる。ただし、敏行の歌などから 「雨−涙」が連想されるものの、この業平や小町の歌の 「眺め−長雨」に 「長い間泣く」ということまで見るかどうかは微妙なところである。一方、わからない点は
  • 歌を贈った日は女の元にいた日の翌日なのか
  • "夜" はいつのことを言っているのか
  • "くらしつ" の 「つ」はいつのことを言っているのか
ということである。まず詞書の「やよひのついたちより」「ものらいひてのちに」が漠然としているため、業平が女と逢い始めたのが三月一日で、雨の中歌を贈ったのはそのしばらく後なのか、三月一日の夜から逢って、その翌日に帰って雨の中歌を贈ったのかがはっきりしない。

  この歌を採っている「伊勢物語」の第二段では 「うち物語らひて、帰へり来て、いかが思ひけん、時はやよひのついたち、雨そほふりるにやりける」となっていて、「女の元にいた翌日=三月一日=雨の中歌を贈った日」としているようである。このあたりは
「古今和歌集全評釈(中)」 (1998 片桐洋一  講談社 ISBN4-06-205980-0) によれば、古今和歌集でも伝本によっては 「やよひの朔(ついたち)ごろに」/「やよひのついたちに」/「やよひのつごもりに」など違いがあって混沌としている。

  つまり、歌を贈ったのが逢った翌日であれば 「夜」は前夜のことであり、「眺め暮らした」のはその時間の続きの気だるい気分ということになる。一方、歌を贈ったのが逢った翌日でないとするならば、 "起きもせず 寝もせで" 明かした 「夜」というのは、単に歌を贈った前夜、一人で相手のことを思いながら過ごした時間であり、その夜から続く雨を 「眺め暮らした」ということになる。

  どちらの解釈も可能と思われるが、どちらかというと後者の方が筋が通りやすいような気がする。

    また詞書にある「やよひのついたち」(三月一日)という日付は、現存する「伊勢物語」の元と同じ本からのそのままの写しとしても妙に具体的で気にかかる。これをそのまま残してこの歌を恋歌三のはじめに置いたことは、その位置と三月のはじめを掛けた古今和歌集の撰者たちのスポット的な洒落っ気とも考えられる。 「ながめ」という言葉を使った歌の一覧は 113番の歌のページを参照。

 
( 2001/10/15 )   
(改 2004/03/09 )   
 
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