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       題しらず 伊勢  
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   夢にだに  見ゆとは見えじ  朝な朝な  我が面影に  はづる身なれば
          
     
  • 朝な朝な ・・・ 毎朝
  
夢でもあなたの姿を見かけたとは思えません、毎朝鏡で見るこの顔が、恥じ入るほど恋にやつれているところを見ると、という歌。

   "見ゆとは見えじ" という部分がわかりづらく、諸説ある。ここでは、夢の中の出来事はよく覚えていないが、そこで相手の姿が 「目に映った」(見ゆ)とは 「思えない」(見えじ)、と言っていると解釈しておく。もし姿が見えたのだとしたら、自分はもっと嬉しそうな生き生きとした顔をしているはずだ、やつれたままでいるということは、やっぱり逢えていないに違いない、という感じか。似たような表現を持つ歌に、833番の「寝ても見ゆ 寝でも見えけり おほかたは」という友則の歌がある。

  「だに」という言葉を使った歌の一覧については 48番の歌のページを、「朝な朝な」という言葉を使った歌の一覧については 16番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/29 )   
(改 2004/02/13 )   
 
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