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       藤原の敏行の朝臣の身まかりにける時によみてかの家につかはしける 紀友則  
833   
   寝ても見ゆ  寝でも見えけり  おほかたは  空蝉の世ぞ  夢にはありける
          
     
  • 見ゆ ・・・ 自然と見える
  • 寝でも ・・・ 寝なくとも
  • おほかたは ・・・ 大体のところ
  
寝ても見え、寝なくともあの方の姿が見えます、大体のところ、現世の方こそ夢なのでしょう、という歌。 「空蝉の世 夢にありける」ではなく、"空蝉の世 夢にありける" であるところが特徴的である。

  「空蝉」という言葉により、殻から抜け出て飛んでいった蝉を考えると、現世を抜け出てあの世に行った者の方が実体で、残された自分たちの方が夢という仮体なのではないか、というニュアンスを添わせている。 831番の僧都勝延(しょうえん)の歌と同じで、「セミ扱いか」というところもあるが、この友則の歌の場合はあまりそれが表だっておらず、それほどひっかかる感じはしない。 「空蝉」という言葉を使った歌の一覧は 73番の歌のページを参照。

  "寝ても見ゆ 寝でも見えけり" という詠い出しは、681番の伊勢の「夢にだに 見ゆとは見えじ」という歌や、476番の「見ずもあらず 見もせぬ人の」という業平の歌を連想させ、業平で 「おほかた」と言えば、879番の「おほかたは 月をもめでじ」という歌が思い出される。 「おほかた」という言葉を使った歌の一覧は、その 879番の歌のページを参照。

  ここで追悼されている藤原敏行は、古今和歌集にも十九首の歌が採られており、是貞親王の歌合などで紀友則らと共に活躍した。生年は不明だが没年は901年(あるいは907年)と言われている。友則から見て敏行はかなり遠いが、父方の遠縁の親戚にあたる。

 
        友則の静かな哀しみを詠った歌としては、次の 「桜」の歌が有名であり、敏行の 「目に見えぬ」歌としては次の 「秋風」の歌が思い出される。

 
84   
   久方の  光のどけき  春の日に  しづ心なく  花の散るらむ
     
169   
   秋きぬと  目にはさやかに  見えねども  風の音にぞ  おどろかれぬる
     
        そして秋と言えば、仮名序・真名序で古今和歌集の撰者の筆頭とされ、こうして人への哀傷歌をその集に添えながらも、自らの死の哀悼の歌もまたそこに含まれている友則自身が去る季節でもある。友則の死を悼む歌としては、次の貫之と忠岑の歌がある。

 
838   
   明日知らぬ  我が身と思へど  暮れぬ間の  今日は人こそ  かなしかりけれ
     
839   
   時しもあれ やは人の  別るべき  あるを見るだに  恋しきものを
     
        また、この歌に続く 834番の貫之の歌と 835番の忠岑の歌は、「夢」を使った哀傷歌として、この友則の歌と一緒にして置かれている。

 
( 2001/05/23 )   
(改 2004/02/24 )   
 
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