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- 見ゆ ・・・ 自然と見える
- 寝でも ・・・ 寝なくとも
- おほかたは ・・・ 大体のところ
寝ても見え、寝なくともあの方の姿が見えます、大体のところ、現世の方こそ夢なのでしょう、という歌。 「空蝉の世は 夢にぞありける」ではなく、"空蝉の世ぞ 夢にはありける" であるところが特徴的である。
「空蝉」という言葉により、殻から抜け出て飛んでいった蝉を考えると、現世を抜け出てあの世に行った者の方が実体で、残された自分たちの方が夢という仮体なのではないか、というニュアンスを添わせている。 831番の僧都勝延(しょうえん)の歌と同じで、「セミ扱いか」というところもあるが、この友則の歌の場合はあまりそれが表だっておらず、それほどひっかかる感じはしない。 「空蝉」という言葉を使った歌の一覧は 73番の歌のページを参照。
"寝ても見ゆ 寝でも見えけり" という詠い出しは、681番の伊勢の「夢にだに 見ゆとは見えじ」という歌や、476番の「見ずもあらず 見もせぬ人の」という業平の歌を連想させ、業平で 「おほかた」と言えば、879番の「おほかたは 月をもめでじ」という歌が思い出される。 「おほかた」という言葉を使った歌の一覧は、その 879番の歌のページを参照。
ここで追悼されている藤原敏行は、古今和歌集にも十九首の歌が採られており、是貞親王の歌合などで紀友則らと共に活躍した。生年は不明だが没年は901年(あるいは907年)と言われている。友則から見て敏行はかなり遠いが、父方の遠縁の親戚にあたる。
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