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       題しらず 読人知らず  
125   
   かはづなく  ゐでの山吹  散りにけり  花のさかりに  あはましものを
          
     
  • かはづ ・・・ カエル
  "ゐで" は今の京都府綴喜(つづき)郡井手町で、その西側に木津川があり、中部に株山から木津川に注ぐ玉川が流れている。この歌の左注に「このうたは、ある人のいはく、橘の清友がうたなり」とある。橘清友(758-789)は井手に別荘をかまえた橘諸兄の孫。

  
蛙の声が聞こえる井手の里の山吹は散ってしまった、花の盛りに見たかったものを、という歌で、内容としてはシンプルだがその調べは柔らかい。同じ 「花のさかり」という言葉を使った 97番の読人知らず の「春ごとに  花のさかりは  ありなめど」という歌とも響き合うような感じもする。

  「かはづ」「ゐで」という言葉で水辺を暗示させている点も面白い。ちなみに仮名序のはじめの方で「花に鳴くうぐひす、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」という文章があるが、古今和歌集の中で 「かはづ」が出てくるのはこの歌だけである (真名序ではその部分は「春の鶯の花中に囀(さへづ)り、秋の蝉の樹上に吟(ぎん)ずるがごときは、曲折無しと雖(いへど)も、各(おのおの)歌謡を発(いだ)す」と春と秋の対を出すために 「ウグイス:セミ」となっている)。

  また、契沖「古今余材抄」などに、この歌の類似歌として次の万葉集・巻八1492の歌が上げられている。確かに後半の言葉遣いはそっくりであるが、「あーあ、実になっちゃった」という感じは、この 「ゐでのかはづ」の歌とかなり雰囲気が違うように思われる。

    君が家の  花橘は  なりにけり  花のある時に  逢はましものを

  "あはましものを" の「まし」は反実仮想の助動詞「まし」の連体形。 「ものを」は本来 「もの+を」だが 「ものを」で一つの助詞とみなされる。 「未然形+ましものを」というかたちを使っている歌には次のようなものがある。

 
     
125番    花のさかりに  あはましものを  読人知らず
238番    おほかる野辺に  寝なましものを  平貞文
531番    涙の川に  植ゑましものを  読人知らず
746番    忘るる時も  あらましものを  読人知らず
749番    よそにのみ  聞かましものを  藤原兼輔
791番    もえても春を  待たましものを  伊勢
810番    なき名ぞとだに  言はましものを  伊勢
906番    幾世かへしと  問はましものを  読人知らず
920番    ここぞとまりと  言はましものを  伊勢


 
        その他のかたちで 「まし」を使っている歌については 46番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/12 )   
(改 2004/02/26 )   
 
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