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       母が思ひにてよめる 凡河内躬恒  
840   
   神無月  時雨に濡るる  もみぢ葉は  ただわび人の  袂なりけり
          
     
  • 神無月 ・・・ 旧暦十月
  • ただ ・・・ まさに
  • わび人 ・・・ 失意の人
  詞書にある「母が思ひにて」とは、母の喪に服している時ということ。歌の意味は、
十月の時雨に濡れるもみじ葉は、まさに悲しみにくれる我が袂である、ということで、 "わび人" はここでは自分のことを指している。

  紅葉に 「血の涙」の色を見るかどうかは微妙であるが、非常に平坦な詠み振りからは、あまりの悲しさに、その悲しみを胸の外に追い出してしまった、という感じがうかがえる。つまり、きっと泣いたらあのようなのだろうな、という感じか。 また、作者も歌の状況も異なるが、この歌は次の素性法師の歌を思いださせる。

 
309   
   もみぢ葉は   袖にこき入れて  もていでなむ  秋はかぎりと  見む人のため
     
        古今和歌集の配列的には、この躬恒の母の喪の歌に、もう一人の撰者である忠岑の父の喪の次の歌が続いていて、しかもそれが "わび人" つながりとなっている。 「わび人」という言葉を使った歌の一覧は 292番の歌のページを参照。

 
841   
   藤衣  はつるる糸は  わび人の   涙の玉の  緒とぞなりける
     
        「時雨」を詠った歌の一覧は 88番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/08 )   
(改 2004/02/26 )   
 
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