思ひに侍りける人をとぶらひにまかりてよめる | 壬生忠岑 | |||
843 |
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言葉どおりとると何か泣いている人を観察しているようで冷い気もするが、涙の主を自分として、私の方も泣けてきます、と見るのも、どこかベタベタした感じである。ここは相手の気持ちを代弁している歌であると見たい。古今和歌集の配列でいうと、一つ前の 842番の貫之の歌に 「かりそめに」という言葉があり、それと並べられているので、この歌の "絶えず" が引き立って見える。 忠岑の哀傷歌には、他に姉の死、父の死、紀友則の死を悼む歌があるが、それ以外にもう一つ、「あひ知れりける人のみまかりにける時によめる」と詞書のある次の歌がある。 |
835 |
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はかない世もまた夢、ということを回りくどく言っているような感じもするが、「見るをのみやは」の 「のみ」が、この 「墨染めの袂」の歌の "雨とのみ降る" と同じく、忠岑の気持ちの一押しを表しているようにも見える。 「〜なれや」という言葉を使った歌の一覧は 225番の歌のページを参照。 |
( 2001/08/10 ) (改 2004/01/26 ) |
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