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       さくらの花のもとにて年の老いぬることを嘆きてよめる 紀友則  
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   色も香も  同じ昔に  さくらめど  年ふる人ぞ  あらたまりける
          
        花は色も香りも昔と同じに咲いているようだけれど、年を重ねた自分の方は新たに老いてしまった、という歌。

 "さくらめど" は、「咲く+らめ+ど」で、「らめ」は推量の助動詞「らむ」の已然形である。咲いているようだけれど、という意味。詞書にも「さくらの花のもとにて」とあるので、 "さくらめど" には 「桜」が込められていると考えてよいだろう。ただ、その場合、「人に知られぬ 花や咲くらむ」という 94番の紀貫之の歌や、「うづきに咲けるさくらを見てよめる」という詞書を持つ136番の紀利貞の「春におくれて ひとり咲くらむ」も同じか、というと微妙である。

  ちなみに古今和歌集の物名には、「かにはざくら」(=カバザクラ)や 「うめ」はあるが、「さくら」だけの歌はない。また、同音ということだけで言えば、 "さくらめど" の中には、445番の文屋康秀の「花の木に あらざらめども」と同じ 「めど」(=メドハギ)があるが、それならば 97番の読人知らずの「花のさかりは ありなめど」などの歌は全部そうなのか、ということになってきりがない。無理な理屈をつけずに、何となくこの友則の歌には 「桜」が入っている感じがする、ということでいいのではないだろうか。

  詞書も、歌の "年ふる人" も、この歌が友則が老いを感じる歳になってからの歌であることを示していて、歌をざっと読むと 「花は同じだが人は老いぼれる」という一般的なテーマのように思えるがよく見ると少しわかりづらい。

  まず "同じ昔に" というのは、「昔と同じに」という意味だろうが、「色も香も同じに咲く」という中に 「昔」という言葉を割り込ませているかたちである。それを 「昔」の強調と見れば、「昔と同じで今も」というより、現在から昔を覗いているようにも受け取れる。

  そのタイムトンネルの中では、春ごとに同じように咲いている花があって、その下に毎年たたずんでいる自分の影があるが、桜に比べ自分の方はどんどん若さが失われ年老いてゆく、という幻想の風景が見えているのではないだろうか。 "年ふる人ぞ  あらたまりける" とは、その複数の自分の影のことで、現在から過去方向へ逆行すれば文字通り 「新たまる」ということであり、過去から現在に向けて見れば、年が 「新たまる」ごとに老けてゆく、と見える。

  もちろん、909番の「松も昔の 友ならなくに」という藤原興風の歌と同じく、桜を見にくるメンバーが年々老けてゆく、あるいは数が減ってゆくと解釈することは可能だが、それだと "あらたまりける"
と言う感じとは少し違うような気もする。 「年ふる」という言葉を使った歌については、「経(ふ)」の歌をまとめた 596番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/26 )   
(改 2004/03/11 )   
 
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