Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻十六

       藤原のとしもとの朝臣の右近の中将にてすみ侍りけるざうしの、身まかりてのち人もすまずなりにけるに、秋の夜ふけてものよりまうできけるついでに見入れければ、もとありし前裁もいとしげく荒れたりけるを見て、はやくそこに侍りければ昔を思ひやりてよみける 御春有輔  
853   
   君が植ゑし  ひとむら薄  虫の音の  しげき野辺とも  なりにけるかな
          
     
  • ひとむら ・・・ 群れ(一群)
  詞書の意味は 「藤原利基が右近の中将の時に住んでいた場所は、利基が亡くなってから誰も住まなくなっていた。秋の夜更け、所用を済ませて帰ってくるついでに立ち寄ってみると、もと庭の植え込みだった所がひどく荒れていた。それを見て、かつてそこにいた時のことに思いをはせて詠んだ」歌ということ。

  藤原利基(としもと)は藤原高藤の兄で藤原兼輔の父。 「ざうし」(曹司)は宮中に置かれた役人・女房達の住む部屋。「前裁」は室内から鑑賞できるように置かれた庭の植え込みのことである。

  
あなたが植えた一かたまりの薄は、虫の音がしきりにする草の繁った野辺ともなりました、という歌。 「寂しい・荒れた」と言わずに "ひとむら薄" が "虫の音しげき野辺" となった、とする表現がすばらしく、語の使い方に無駄のない優れた歌である。この歌の一つ前に河原左大臣・源融(とおる)の庭を詠んだ次の貫之の歌があり、それも悪い歌ではないが、この有輔の歌の前では引き立て役に見えてしまうほどである。

 
852   
    君まさで  煙絶えにし  塩釜の  うらさびしくも  見え渡るかな
     
        また、この歌の 「薄」は、次の伊勢の七条の后(=藤原温子)の死を悼む長歌や、242番の平貞文の「今よりは 植ゑてだに見じ 花薄」という歌を思い出させる。

 
1006   
    沖つ浪  荒れのみまさる  宮の内は  年へて住みし  伊勢の海人も  舟流したる  心地して
  よらむ方なく  かなしきに  涙の色の  紅は  我らが中の  時雨にて  秋のもみぢと  人びとは
  おのが散りぢり  別れなば  たのむかげなく  なりはてて  とまるものとは  
花薄  君なき庭に
  
群れ立ちて  空をまねかば  初雁の  なきわたりつつ  よそにこそ見め
     
        そして "君が植ゑし" という言葉は、次の貫之の歌も連想させる。

 
851   
   色も香も  昔の濃さに  匂へども  植ゑけむ人の    影ぞ恋しき  
     
        ただ、有輔の歌はもう一つ 629番に恋歌が採られているが、残念ながら、そちらの方はあまりよい出来とは言えないようである。 「しげし」という言葉を使った歌の一覧は 550番の歌のページを、「なりにけるかな」という言葉を使った歌の一覧は 267番の歌のページを参照。

 
( 2001/12/12 )   
(改 2004/12/27 )   
 
前歌    戻る    次歌