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       題しらず 読人知らず  
863   
   我が上に  露ぞ置くなる  天の河  と渡る舟の  櫂のしづくか
          
     
  • と渡る ・・・川などを渡ること(門渡る)
  
この私の上に露が置いたようだ、これは天の河を渡る舟の櫂の滴だろうか、という歌。

  "露ぞ置くなる" の 「なる」は推定の助動詞「なり」の連体形。歌の後半ではその 「露」が 「天の河を渡る舟の櫂の滴か」と言っているが、この 「露」自体もいわゆる 「朝露・夜露」の 「露」ではないことを表していると思われる。 「露」は次の読人知らずの歌のように恋歌の中で 「涙」の譬えとしても使われるが、この歌の場合、 "我が上に" とあるので、(少なくとも自分の)涙とは考えづらい。

 
757   
   秋ならで  置く白露は   寝ざめする  我が手枕の  しづくなりけり
     
        契沖は「古今余材抄」で 「...この歌のつゝき数首はよろこひ有歌の類なるに其初にあれは七夕に思ひかけす内の酒宴なとにめしあつけられて禄なとたまはれる人のその恩露をかくは寄たるにや...」という考えを述べている。正確に言うと、古今和歌集の配列で見るとそうも見える、ということであろう。その線で考えると 8番の文屋康秀の「かしらの雪と なるぞわびしき」という歌や、 269番の藤原敏行の「久方の 雲の上にて 見る菊は」という歌などが思い出される。

  あるいは単純に、外での七夕の宴の時に雨がポツポツと降ってきたか、酒がこぼれて体に引っかかった、というような状況も想像できる。 この歌は雑歌上のはじめの歌である。

 
( 2001/08/27 )   
(改 2004/01/27 )   
 
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