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       いかがさき 兼覧王  
457   
   かぢにあたる  浪のしづくを  春なれば  いかが咲き散る  花と見ざらむ
          
     
  • かぢ ・・・ 舟の後ろにあって水をかく道具 (梶:かじ)
  詞書の「いかがさき」は、「いかが崎」という地名とされるが、その場所は不明。兼覧王(かねみのおおきみ)は、惟喬親王の子で 886年従四位下、924年正四位下、932年没。古今和歌集にはこの他に次の四首が採られており、 399番の躬恒の歌の詞書にもその名が見える。

 
237   
   女郎花  うしろめたくも  見ゆるかな  荒れたる宿に  ひとり立てれば
     
298   
   竜田姫  たむくる神の  あればこそ  秋の木の葉の  ぬさと散るらめ
     
398   
   惜しむらむ  人の心を  知らぬまに  秋の時雨と  身ぞふりにける
     
779   
   住の江の  松ほどひさに  なりぬれば  あしたづの音に  なかぬ日はなし
     
        「イカガサキちる」の部分に 「いかがさき」が含まれていて、歌の意味は、春なので、梶に当たる浪の滴を、どうして咲き散る花と見ないことがあろうか、ということ。反語なので要は波しぶきが咲き散る花と見える、ということである。シンプルな詠み振りで、物名を生かしている。

   "咲き散る" について、本居宣長は「古今和歌集遠鏡」で 「
花のさきちるといふは。たゞちること也。例みなしかり。」と述べている。しかし少なくともこの歌の場合、ただ 「散る花と見る」だけでは物足りなく、「咲いて散る」の 「咲いて」を削る理由が特に見あたらない。

  "かぢ" という言葉を使った他の歌としては、次の読人知らずの歌がある。

 
174   
   久方の  天の河原の  渡し守  君渡りなば  かぢ かくしてよ
     
        また、梶(かぢ)と櫂(かい)が似たようなものとして、季節が春ではなく夏であれば、その 「しづく」は次の読人知らずの歌で、天の河とつながる。

 
863   
   我が上に  露ぞ置くなる  天の河  と渡る舟の    櫂のしづくか  
     
        「浪の花」ということを詠った歌の一覧は 250番の歌のページを参照。

 
( 2001/07/02 )   
(改 2004/03/08 )   
 
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