かひの国にあひ知りて侍りける人とぶらはむとてまかりけるを、道なかにてにはかにやまひをして、いまいまとなりにければ、よみて、京にもてまかりて母に見せよ、といひて、人につけ侍りけるうた | 在原滋春 | |||
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歌の意味は、ちょっと行って帰ってくるだけの道と思ってやって来ましたが、これが最後の門出となってしまいました、ということ。 "行きかひぢ" に「甲斐路」を掛けていて、物名の歌ということもできる。物名の部に三首( 424番 / 451番 / 465番 )が採られている滋春らしい歌ではあるが、状況からして普通に考えれば、ただのバカ者である。在原滋春は在原業平の次男で、この歌のひとつ前には父・業平の歌が置かれている。 |
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一応、父→子という順であり、「道」が 「甲斐路」とつながるが、古今和歌集の撰者たちが、業平の歌で哀傷歌の部をしめず、この滋春の歌を最後に持ってきたことは、春歌上の 1番に在原元方の「年の内に 春は来にけり」を置いていることに似た、妙にゆがんだユーモアのセンスを感じる。 哀傷歌の中で他に 「かりそめ」という言葉が使われている歌には、次の貫之の歌がある。 |
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「かぎり」という言葉を使った歌の一覧は 187番の歌のページを参照。 |
( 2001/09/20 ) (改 2004/01/27 ) |
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