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世の中のつらいことにはもう飽き飽きした、奥山の木の葉に降った雪のように、山に入って消えてしまおうか、という歌。
一般的には 「雪−行き」が掛けられていると解釈される。 「雪」が 「行き」に掛けられている例は 383番の躬恒の歌に「雪見るべくも あらぬ我が身は」というものがある。その 「雪−行き」の前に次のように二句に渡る序詞が入っているので少しわかりづらいかたちになっている。
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世の中の うけくにあきぬ 雪(行き)やけなまし 奥山の 木の葉に降れる |
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ここで 「奥山」は 「木の葉」を修飾しながら、世の中からの逃避先である 「深い山奥」ということをイメージさせる働きを持っていると考えられる。 "雪やけなまし" の部分をもう少し詳しく見てみると、"けなまし" は、「け+な+まし」で、「け」は下二段活用の 「消ゆ」の未然形「消え」の短縮形、「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形、「まし」は反実仮想の助動詞「まし」の連体形である。
「〜なまし」は普通、前に仮定がついて「〜ならば〜してしまうだろう/〜ならば〜してしまおう」というニュアンスで使われる( 63番の「今日こずは 明日は雪とぞ 降りなまし」のように)。ただし、この歌の場合は、仮定の代わりに 「雪や」と疑問の係助詞「や」がついているので、 201番の読人知らずの歌の「宿やからまし」と同じく、「〜しようか(どうしようか)/〜だろうか(どうだろうか)」ということであろう。 「〜なまし」というかたちを持った歌の一覧は 63番の歌のページを参照。
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