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今日来なければ、明日は雪と降って散ってしまうであろう、消えずにあるといってもそんなものを誰が花と見ようか、という歌。
この歌は一つ前の 62番の読人知らずの「あだなりと 名にこそたてれ 桜花」という歌に対する返しである。元の歌は 「うつろいやすいと評判が立っていますが、年にたまにしかこないあなたをこうしてちゃんと待っています」という内容で、それに対して 「そうは言っても今日こなければ明日には散ってしまったに違いない、ならばそれは花ではなく雪と同じだ」と答えている。
「雪のように花が散る」という譬えは、111番の読人知らずの歌の「雪とのみこそ 花は散るらめ」などにも見られるが、それをさらに進めて、 "消えずはありとも 花と見ましや" と念を押して、辛辣な「返し」にしている点にこの歌の特徴がある。 「お前の言っている桜花は、見た目には歓迎してくれているようで、実は偽物、今にも降り出す雪のように冷たい心を持っているのさ」ということだろう。
雪を使ったこの切り返しは、宗岳大頼(むねおかのおおより)が 「おのが思ひはこの雪のごとくなむつもれる」と言った時の躬恒の次の歌にも引き継がれているように見える。
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