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       田村の御時に、事にあたりてつの国の須磨といふ所にこもり侍りけるに、宮のうちに侍りける人につかはしける 在原行平  
962   
   わくらばに  問ふ人あらば  須磨の浦に  藻塩たれつつ  わぶと答へよ
          
     
  • わくらばに ・・・ 偶然に、たまたま
  • 藻塩 ・・・ 海草に海水をかけてそれを煮て塩を採ること
  詞書は 「田村の御時(=文徳天皇の時代)に、ある事に関連して、津の国(=摂津の国)の須磨という場所にこもっていた時に、宮中の知人におくった」歌ということ。

  文徳天皇の時代は 850-858年。行平は 855年一月に従四位下・因幡守になっているので、それ以前のことか。因幡について詠った 365番の「立ち別れ いなばの山の 峰におふる」という歌が思い出される。ちなみに行平は 818年の生れなので、「田村の御時」には三十三歳から四十一歳である。「事にあたりて」とは事件に関係して、あるいは事件を起こしてということだが、それがどういう出来事であったかはわかっていない。

  歌の意味は、
もしたまたま私の様子を聞く人があれば、須磨の浦で藻塩の水が垂れるようにポタポタと、泣いてわびしく暮らしていると答えておいてくれ、ということ。 「須磨の浦」は現在の兵庫県神戸市須磨区の海岸。 "藻塩たれつつ" の 「たる(垂る)」は、「したたる」ということで、639番の歌の「明けぬとて かへる道には こきたれて」や 932番の歌の「かりてほす 山田の稲の こきたれて」にある 「こきたる」の 「たる」と同じニュアンスである。 「わぶ」という言葉を使った歌の一覧は 937番の歌のページを参照。

  この歌は隠岐に流された時の次の小野篁の歌と並べられている。行平も篁も、そのまま彼の地で朽ち果てることなく、その後、都に戻って地位を確立している点は共通している。

 
961   
   思ひきや  ひなの別れに  おとろへて  海人の縄たき   いさりせむとは
     
        また、この歌は藤原定家が八代集からそれぞれ十首づつ選んで編んだ 「八代集秀逸」の中で選ばれているものの一つである。その他の九首については 365番の歌のページを参照。

 
( 2001/09/03 )   
(改 2004/03/16 )   
 
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