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風が吹くと沖の白波が騒ぎ立ちますが、その「たつ」という名の竜田の山を夜中、あなたが一人越えてゆくのでしょうか、という歌。どことなく子守唄のようでもある。 「風吹く」という言葉を使った歌の一覧については 671番の歌のページを、竜田山を詠んだ歌の一覧は 108番の歌のページを参照。
この歌には、次のような長い左注がついている。
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ある人、このうたは、昔大和の国なりける人のむすめに、ある人すみわたりけり、この女、親もなくなりて、家もわるくなりゆく間に、この男、河内の国に人をあひ知りてかよひつつ、かれやうにのみなりゆきけり、さりけれども、つらげなるけしきもみえで、河内へいくごとに、男の心のごとくにしつついだしやりければ、あやしと思ひて、もしなきまに異心もやあるとうたがひて、月のおもしろかりける夜、河内へいくまねにて、前裁のなかに隠れて見ければ、夜ふくるまで、琴をかきならしつつうちなげきて、このうたをよみて寝にければ、これを聞きて、それよりまた外へもまからずなりにけり、となむ言ひ伝へたる
(ある人によればこの歌は、「昔、大和の国の人の娘の所にある男が住んでいた。彼女が親も亡くなって家も裕福でなくなると、男は河内の国に別の女をつくって、もう疎遠になっていった。けれども彼女は辛そうにも見えないので、河内に行くたびに何も言わずに送り出すので、男は不審に思って、もしかすると自分がいない間に浮気でもしているのかと疑って、月夜の晩、河内に行くふりをして庭の植え込みの中に隠れて見ていると、彼女は夜更けまで琴をかきならしては嘆きつつこの歌を詠み、その後寝たので、これを知って男は他の所に行かなくなった」というものであると言い伝わっている) |
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その内容は「伊勢物語」第二十三段の「井筒」のものとほぼ同じである。ここでの "沖つ白浪" とは竜田川の波とも考えられなくはないが、物語的には 「河内」の先を女性がイメージしているものか。より直接的には、万葉集・巻一83にある次の歌をベースにしていると言われている。
海(わた)の底(そこ) 沖つ白波 竜田山 いつか越えなむ 妹があたり見む
また、山と波の組み合せということで 1093番の読人知らずの「末の松山 浪も越えなむ」という歌が連想される。
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