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       寛平の御時にもろこしの判官にめされて侍りける時に、東宮のさぶらひにてをのこども酒たうべけるついでによみ侍りける 藤原忠房  
993   
   なよ竹の  よ長き上に  初霜の  おきゐて物を  思ふころかな
          
     
  • なよ竹 ・・・ 細くしなやかな竹 (弱竹)
  • よ ・・・ 竹の節と節の間の部分
  詞書の意味は 「宇多天皇の時代、遣唐使の判官に任命されて東宮御所の詰所で、人々が酒をいただいている時に詠んだ」歌ということ。 「もろこしの判官」は大使・副使に続く遣唐使のポスト。

  歌の意味は、
こうして秋の夜長を起きていてながら、いろいろと思いにふけることです、ということ。 「なよ竹」の節と節の間の部分が長いことから 「よ−夜」を掛け、初霜が 「置く」に 「起く」を掛けている。 「初霜」を詠った歌の一覧は 277番の歌のページを参照。

  寛平年間の遣唐使は、894年に菅原道真を大使として計画され、それは結局廃止になったのだが、恐らくこの歌もその時のものと思われる。菅原道真が大使に任命されたのは 894年の八月二十一日、廃止を進言したのは九月十四日、廃止となったのが九月三十日と言われるので、この歌の 「夜長き」「初霜」というのも季節的に合っている。この時の副使は紀長谷雄。ちなみにその前の派遣は、小野篁が隠岐に流される原因となった 836年の藤原常嗣を大使としたものであった。

  忠房が従五位下になったのは 901年であり、894年当時はまだ位も高くない。こうした背景を見るとこの歌には 「任務ではあるけれど、本当は行きたくないなあ」という感じがあるようにも思える。なお、「古今和歌集目録」の忠房の項では、(延喜)「十八年任遣唐判官」とあるが、時期が合わず疑問である。雑歌下のこの歌の前の方には、竹を詠った以下の歌がまとめて置かれている。

 
957   
   今さらに  なにおひいづらむ  竹の子の    うき節しげき    世 とは知らずや
     
958   
   世にふれば  言の葉しげき  呉竹の    うき節ごとに   うぐひすぞ鳴く
     
959   
   木にもあらず  草にもあらぬ  竹のよの   端に我が身は  なりぬべらなり
     
        また 「霜−置く−起く」を掛けた歌としては、恋歌三に次のような大江千里の歌もある。

 
643   
   今朝はしも    おきけむ方も   知らざりつ  思ひいづるぞ  消えてかなしき
     

( 2001/11/07 )   
(改 2004/03/08 )   
 
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