Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻二

       仁和の中将の御息所の家に歌合せむとてしける時によみける 藤原後蔭  
108   
   花の散る  ことやわびしき  春霞  たつたの山の  うぐひすの声
          
        歌の意味は、花の散ることが辛いのか、春霞の立つ、という名の竜田山のウグイスの声の響きは、ということ。藤原後蔭(のちかげ)は生没年不詳、919年従四位下。

  詞書にある「仁和の中将の御息所の家」での歌合せについては不明だが、同じ歌合せから採られたものに次の素性法師の歌があって、やはり 「散る花」を詠んでいる。

 
114   
   惜しと思ふ  心は糸に  よられなむ  散る花ごとに  ぬきてとどめむ
     
        この歌では 「春霞が立つ」の 「たつ」に 「竜田山」を掛けて歌を転がしている。 「竜田山」というと秋のイメージが強いが、それもこの駄洒落により一気に乗り越えている感じである。 「春霞」実際、この歌が伝えている内容は、花が散るのがつらくてウグイスが鳴いているのか、というと 「うぐひす」に挟まれた 「竜田山」が微妙なバランスでぶらさがっているようにも見える。 「春霞」を詠った歌の一覧については 210番の歌のページを参照。

  また、この歌の前半は 235番の忠岑の「人の見る ことやくるしき 女郎花」の歌と 「ことや」の置き方が似ている。さらに、最後の "たつたの山の  うぐひすの声" という部分は、同じ体言止めでも 
158番の紀秋岑の歌の「声ふりたてて  鳴く郭公」と並べて見ると、「ウ・グ・ヒ・ス」と四文字か、「ホ・ト・ト・ギ・ス」と五文字かによって(当然のことながら)扱い方に違いがあって面白い。

  「竜田山」は現在の奈良県生駒郡の信貴山、高安山あたりの山地のことで、それを詠った歌には次のようなものがある。 「竜田川」の歌の一覧については 302番の歌のページを参照。

 
     
108番    春霞  たつたの山の うぐひすの声  藤原後蔭
994番    風吹けば  沖つ白浪 たつた山  読人知らず
995番    唐衣  たつたの山に をりはへて鳴く  読人知らず
1002番    竜田の山  もみぢ葉を 見てのみしのぶ  紀貫之


 
        「わびし」という言葉を使った歌の一覧は 8番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/27 )   
(改 2004/03/10 )   
 
前歌    戻る    次歌