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詞書の意味は 「歌を召された時、奉るとしてその奥に書き付けて献上した」歌ということ。歌の意味は、今となっては遠くにあって、噂にだけ聞く宮中の様子を、自分の以前の姿に戻って見られればと思います、ということ。
この歌は、ざっと見ると 「宮中を見るのにはまだ早い身ですけれど」と言っているようにも見えるが、詞書の 「うためしける」という書き方は、当時の今上天皇である醍醐天皇を指しており、一般的には、"身をはやながら" は、宇多天皇の時代の宮中にいた伊勢が 「以前のままで(=早や+ながら)」と言っているのだと解釈されている。
"身を" に 「澪(あるいは水脈)」(みを:=川底が溝のように深くなった所)を掛けている。 「みを」という言葉を使った歌には、882番に「天の河 雲のみをにて はやければ」という読人知らずの歌があり、567番の藤原興風の歌にある 「みをづくし」(澪標:=船に道筋を教えるために水の中に打った杭)の「みを」も同じ意味である。 「音に聞く」という表現を持った歌の一覧については 470番の歌のページを参照。
"見るよしもがな" の 「よし(由)」を使った歌の一覧については 347番の歌のページを、「もがな」という願望の連語を使った歌の一覧については 54番の歌のページを参照。
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