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       寛平の御時きさいの宮の歌合せのうた 在原元方  
103   
   霞立つ  春の山辺は  遠けれど  吹きくる風は  花の香ぞする
          
        霞が立つ春の山辺は遠いけれど、吹いてくる風は花の香りがする、という文字通りの歌である。

  91番の良岑宗貞(=僧正遍照)の 「香をだにぬすめ 春の山風」と似た発想の歌で、一見平凡に見えるが、あまりにもそのままな "遠けれど" という言葉の置き方が逆に新鮮である。

  本居宣長は「古今和歌集遠鏡」で、風に花の香りを感じる理由として、春の山辺は霞が立ってそのせいで遠く見える(
霞ノ立ツテアル春ノコロノ山ハ遠ウミエルケレドモ カクベツ遠ウモナイカシテ)と補っているが、歌の感じからすると多分、元方はそこまで考えていないような気がする。

  この歌の一つ前には同じ「寛平の御時きさいの宮の歌合せ」で詠まれた藤原興風の次の歌があり、山の春霞を詠った点で共通している。 「春霞」の歌の一覧は 210番の歌のページを参照。

 
102   
   春霞   色のちぐさに  見えつるは  たなびく山の   花のかげかも
     
        また、この興風の歌の 「花のかげ」という言葉からは 95番の素性法師の「いざ今日は 春の山辺に まじりなむ」という歌が思い出され、そこにある 「春の山辺」がまたこの元方の歌へつながるという歌の連鎖を見るのも面白いかもしれない。

 
( 2001/09/06 )   
(改 2004/02/26 )   
 
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