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       うぐひすの鳴くをよめる 素性法師  
109   
   こづたへば  おのが羽かぜに  散る花を  誰におほせて  ここら鳴くらむ
          
     
  • おほせて ・・・ 責任を負わせる
  • ここら ・・・ たくさん
  "ここら" という言葉は、ざっと読むと「ここのあたりを」という意味のようにも見えるが、「幾許(ここだ/ここだく)」という万葉集によく見られる言葉から派生したものであるとされ、数が多いことを表す。(
「例解 古語辞典 第三版」 (1993 三省堂 ISBN4-385-13327-1))  また、「幾許」を「いくばく」と読めば、「どれだけの」という意味になり、1013番の藤原敏行の歌に「いくばくの 田をつくればか 郭公」という歌がある。

  歌の意味は、
木の間を飛び回れば自分の羽根による風で散る花なのに、誰に罪があるとして、そんなにしきりに鳴くのか、ということ。 106番の読人知らずの歌と似た状況を詠んだ歌だが、単なる風ではなく "おのが羽かぜ" としているところに趣向がある。 "おほせて" という言葉が少し固いような気もするが、 "ここら鳴くらむ" という終りの柔らかさでバランスがとれている。

  "ここら鳴くらむ" という言葉で終わっている歌には他に秋歌上の次の読人知らずの歌があり、「誰」という言葉を使っている点でも共通している。

 
203   
   もみぢ葉の  散りてつもれる  我が宿に  誰をまつ虫    ここら鳴くらむ  
     
        「ここら」という言葉を使った歌の一覧は 1062番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/01 )   
(改 2004/02/20 )   
 
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