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       大和の国にまかりける時、佐保山に霧の立てりけるを見てよめる 紀友則  
265   
   誰がための  錦なればか  秋霧の  佐保の山辺を  立ち隠すらむ
          
        詞書にある 「佐保山」は現在の奈良県奈良市法蓮町(ほうれんちょう)のあたりの丘陵。その南に佐保川がある。歌の意味は、誰かのための大切な錦があるということで、秋霧はこのように立ち渡り、佐保の山辺を隠しているのだろうか、ということ。

  「秋」と 「錦」で紅葉を表している他は特に目を引くものはないが、安定した詠み振りの歌である。佐保山の紅葉と言えば、古今和歌集では次の読人知らずの歌にあるように 「ははそ」(ナラあるいはカシワの木)の紅葉を指している。

 
266   
   秋霧は  今朝はな立ちそ  佐保山の    ははそのもみぢ   よそにても見む
     
        春歌では次の読人知らずの歌をはじめ、春霞が花(桜)を隠すということが詠まれており、それに対して、この歌や上記の 266番の歌では秋霧が紅葉を隠すという趣向になっている。

 
51   
   山桜   我が見にくれば  春霞   峰にもをにも  立ち隠しつつ
     
        「春霞」と 「秋霧」を詠った歌の一覧は 210番の歌のページを参照。 「立ち隠す」という言葉を使った歌の一覧は 1038番の歌のページを参照。また、「誰のための〜なのか」という歌としては、雑歌上にある次の承均法師(そうくほうし)の歌が連想される。

 
924   
   誰がために   引きてさらせる  布なれや  世をへて見れど  とる人もなき
     
        「錦」を詠った歌の一覧については 296番の歌のページを参照。

 
( 2001/09/06 )   
(改 2004/03/07 )   
 
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