これさだのみこの家の歌合せのうた | 壬生忠岑 | |||
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山里は秋はことさら侘しいものだ、鹿の声に目が冴えて眠れない、という歌で、地味だが後半で読む者を一気に夜中に誘い込むような効果を持っている。この忠岑の歌に対し、次の読人知らずの歌はそれに静かに答える幻聴のようにも感じられる。 |
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また、冬こそ山里の凄みが増すのだという源宗于(むねゆき)の歌もある。 |
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詞書にある 「是貞親王家歌合」では、この歌の 「わびしけれ」は 「さびしけれ」となっているが、宗于の冬の 「さびしさ」と並べてみると、この忠岑の秋の 「わびしさ」は 「さびしさ」では置き換えられないような感じを受ける。このあたりが言葉の微妙なところであろう。 「わびし」という言葉を使った歌の一覧は 8番の歌のページを参照。 秋歌上では、この歌から五首 「鹿」の歌が続くが、古今和歌集の全体で見ると、次のような歌で 「鹿」が詠われている。 |
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また、983番の喜撰法師の歌の「みやこのたつみ しかぞすむ」に 「鹿」を見るかどうかは微妙なところである。 |
( 2001/08/29 ) (改 2004/03/10 ) |
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