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       題しらず 読人知らず  
490   
   夕月夜  さすやをかべの  松の葉の  いつともわかぬ  恋もするかな
          
     
  • 夕月夜 ・・・ ここでは夕方の月のことを指す
  • をかべ ・・・ 岡のあたり(岡辺)
  • わかぬ ・・・ 区別できない
  
夕方の月の光が射している岡のあたりの松葉のように、時の経つのを忘れるように夢中な恋をすることだ、という歌。 "さすや" の 「や」は詠嘆の間投助詞で、疑問の意味はない。 「さす」とは光が射し込むことで、「松の葉」が 「わかぬ」とはその常緑を季節感のないことになぞらえて言ったもの。ただ、「さす」は 「差す・挿す」など松の葉の細いことを思い出させ、それは別々に分かれていることから、 "いつともわかぬ" と少し干渉するようにも感じられる。

  この歌は恋歌一にあるが、 "恋もするかな" という言葉が使われている歌は、全部で六首あり、それが恋歌一と恋歌二に散らすように置かれている。恋歌一ではこの歌と先頭の 469番の 「あやめ草」の歌、そして次の読人知らずの歌に見られる。

 
498   
   我が園の  梅のほつえに  うぐひすの  音に鳴きぬべき  恋もするかな  
     
        また、恋歌二には 565番の友則の「人に知られぬ 恋もするかな」以外に次の二つがある。

 
561   
   宵の間も  はかなく見ゆる  夏虫に  惑ひまされる  恋もするかな  
     
579   
   五月山  梢を高み  郭公  鳴く音空なる  恋もするかな  
     
        これらをまとめてみると次のようになる。

 
     
 恋歌一 469番    あやめ草  あやめも知らぬ 恋もするかな  読人知らず
  490番    松の葉の  いつともわかぬ 恋もするかな  読人知らず
  498番    うぐひすの  音に鳴きぬべき 恋もするかな  読人知らず
 恋歌二 561番    夏虫に  惑ひまされる 恋もするかな  紀友則
  565番    玉藻の み隠れて  人に知られぬ 恋もするかな  紀友則
  579番    郭公  鳴く音空なる 恋もするかな  紀貫之


 
        また、592番の忠岑の歌に 「浮きたる恋も 我はするかな」というものもある。こうして見ると恋歌一と恋歌二の違いはほとんど感じられない。また、「恋するかな」ばかりで 「恋するかな」というものが一つもないのが不思議といえば不思議である。

 
( 2001/11/27 )   
(改 2003/12/29 )   
 
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