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       題しらず 読人知らず  
401   
   かぎりなく  思ふ涙に  そほちぬる  袖はかわかじ  あはむ日までに
          
     
  • そほちぬる ・・・ 濡れてしまった (濡つ)
  
限りない思いから流れ出る涙で濡れる袖は、また逢う日まで乾くことがないでしょう、という歌。待つ女性側の歌のような気がする。 「限りない思い」による涙なので、その言葉通りにずっと濡れているでしょうけれど、もしそれの限りがあって乾く時がくるとしたらそれは再びあなたに逢える日でしょう、ということ。涙の袖から顔を上げると愛しい人の姿があった、というような場面を思い描いているものか。

  「思ふ−涙−そほつ−袖−かわくーあふ−日」という個々の単語は、駄洒落が入っていない分、結合力が弱く感じられるが、おおまかなかたちとしては「袖」を中心にヤジロベエのように「そほつ−かわく」の対でバランスがとられている。

  「そほつ」という言葉が単独で出てくる歌としては、422番の藤原敏行の 「うぐひす」の物名の歌に「心から 花のしづくに そほちつつ」とある他、次の友則の 「をみなへし」の物名の歌や、橘清樹(たちばなのきよき)の恋歌の中でも使われている。

 
438   
   朝露を  わけ そほちつつ   花見むと  今ぞ野山を  みなへしりぬる
     
655   
   泣き恋ふる  涙に袖の  そほちなば   脱ぎかへがてら  夜こそはきめ
     
        また、雨がしとしと降る様子を 「降りそほつ」として表現しているものとしては、639番の藤原敏行の歌に「雨も涙も 降りそほちつつ」とあり、616番の業平の歌の詞書の中にも 「雨のそほ降りけるに」と出てくる。 「かぎりなし」という言葉を使った歌の一覧は 187番の歌のページを参照。

 
( 2001/12/06 )   
(改 2004/01/27 )   
 
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