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       みこ、このうたをかへすがへすよみつつ返しえせずなりにければ、ともに侍りてよめる 紀有常  
419   
   ひととせに  ひとたびきます  君まてば  宿かす人も  あらじとぞ思ふ
          
        紀有常は 815年生れ、877年没。没年六十三歳。紀名虎の子。 851年従五位下、855年従五位上、873年正五位下、876年従四位下。古今和歌集に採られているのはこの一首のみ。

  詞書の 「みこ」とは惟喬親王のことで、「このうた」とは次の在原業平の歌を指す。詞書は、それを繰り返して読んで返しをしようと思ったけれど、ついにできなかったので、供をしていた有常が詠んだ、ということ。

 
418   
   かりくらし  七夕つめに  宿からむ   天の河原に  我はきにけり
     
        惟喬親王から見ると有常は母方の伯父にあたる。惟喬親王は844年生れなので、有常は約三十歳年長ということになる。業平は825年生れで、有常の十歳年下。業平は有常の娘を妻としている。惟喬親王が狩に出て「盃はさせ」という年齢になっているということは、この時点で業平と有常の娘の婚姻関係はすでに結ばれている可能性が高いだろう。有常の娘と業平の歌のやりとりは、784番785番の歌に採られている。

  歌の内容は、業平が織姫に宿を借りようと言ったのに対し、
織姫は一年に一度来る牽牛を待っている身だから、宿は貸さないだろう、ということである。種がわかれば簡単に思える手品のようなもので、「狩−借り−宿」の移り変わりを捕らえたシンプルなものだが、親王はもっとカッコイイ歌を返そうと頭をひねっていたのだろう。有常の返しを見て、こうしてたしなめてやればよかったのか、と思ったかもしれない。

  見方によってはこの有常の歌は野暮な切り替えしだが、62番の読人知らずの「年にまれなる 人も待ちけり」という歌と、それに業平が返した 63番の「消えずはありとも 花と見ましや」という歌のペアと並べて見ると面白い。 「あらじ」という言葉を使った歌の一覧は 934番の歌のページを参照。

 
( 2001/10/04 )   
(改 2004/02/05 )   
 
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