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詞書の内容は「在原業平が紀有常の娘と暮らしていたが、気に入らないことがあって、しばらくの間、昼は来て夕方は帰るということをしていたので、詠んでおくった」歌ということ。
歌の内容は、あなたは空の雲のように私からだんだんと離れてゆくようですね、とはいえまだ目には見えるものですけれど、ということ。この歌には業平は 785番の「我がゐる山の 風はやみなり」という返しがついている。
「天雲の」という言葉は、「よそ」にかかる枕詞としても使われるが、ここでは 「よそ」にあっても 「目には見ゆるもの」の譬えとして「雲」の意味を運んでいる。 「よそ」という言葉を使った歌の一覧は 37番の歌のページを参照。 "なりゆくか" の 「か」は、774番の歌の 「まだもやまぬか」と同じで詠嘆のニュアンスを表す。また、「さすがに」という言葉は 1003番の忠岑の長歌でも 「さすがに命 惜しければ」というように使われている。 "見ゆるものから" の 「ものから」は逆接で、後半(四句目と五句目)は倒置のかたちである。 「ものから」という言葉を使った歌の一覧は 147番の歌のページを参照。
この歌の皮肉っぽさは、 "さすがに目には 見ゆるものから" に集約されており、それ自体でも十分わかるが、次の読人知らずの歌と並べてみるとより明らかになる。
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