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あのオミナエシを気がかりに思うよ、荒れた庭に独りで咲いているのだから、という歌。
詞書にある「ものへまかりけるに」とは、「ある場所に出向いた時に」ということで、その途中で人の家にオミナエシが植えてあるのを見かけたという状況を言っている。ただ「咲いている」と言わずに、「植えてある」と言っているところに、一度は「人の」手が触れたというニュアンスを漂わせている。古今和歌集の配列から言えば、それは一つ前の236番の壬生忠岑の歌が「我が住む宿に 植ゑて見ましを」と詠っていることと呼応しており、あたかも忠岑の家が「荒れたる宿」であるかのような感じにも見える。
また、この歌の 「立つオミナエシを通りがかりに見る」という感じでは 227番の布留今道(ふるのいまみち)の「女郎花 憂しと見つつぞ ゆきすぐる」という歌と似ているが、今道の歌の 「憂し」とこの歌の「うしろめたし」では気持ちが異なる。今道の歌ではオミナエシがあだっぽい花というイメージでとらえられ、この兼覧王(かねみのおおきみ)の歌の方では、見捨てられた花というイメージである。
また、この歌の "ひとり立てれば" の 「ひとり」は、次の紀利貞の歌の「ひとり咲くらむ」と通じるものが感じられる。
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