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       これさだのみこの家の歌合せのうた 文屋康秀  
250   
   草も木も  色かはれども  わたつみの  浪の花にぞ  秋なかりける
          
     
  • わたつみ ・・・ 海
  "わたつみ" は本来海の神である「渡津海(あるいは綿津見)」からきている言葉で、「わたつうみ」と同じことである。この歌では特に神という意識はなく枕詞のように使われているが、解釈としては、「秋を司る竜田姫は地上の草木の色は変えるけれど、それは海の神の領域までには至らないので "浪の花" は白いままである」と見ても面白いかもしれない。

  また、この歌は秋歌下のはじめから二番目にあり、一つ前の249番の歌と共に 「これさだのみこの家の歌合せ」の文屋康秀の歌とされるが、現存する 「是貞親王家歌合」には残っていない。古今和歌集の配列の順から言えば、前の歌と 「草木」つながりであると言える。

  歌の内容は、
草も木も秋には色が変わるのに、浪の上に咲く花には秋というものがないのだな、ということ。この歌で 「秋は草木は色が変わるのに浪の花は変わらないなあ」という発想から、歌となるまでの過程を考えてみると、四句目の 「浪の花」というところまでは比較的すんなりとつながるが、そこまで 「秋には」ということを封じ、最後に "浪の花にぞ 秋なかりける" と落としている様子は、なかなか手馴れた歌詠みであるように思われる。ただ、実際は "浪の花にぞ 秋なかりける" というフレーズを先に思いつき、そこからの逆算である可能性の方が高いが、読む方は頭から読むので 「なるほど」と思わせるのである。仮名序でいう 「言葉はたくみにて」という康秀のタレントがここに垣間見えるような気がする。

  「浪の花」とは白波を花に見立てたもので、「浪−花」と詠っているものには次のような歌がある。

 
     
12番    うち出づる  春の初花  源当純
89番    桜花  水なき空に ぞたちける  紀貫之
250番    わたつみの  浪の花にぞ 秋なかりける  文屋康秀
272番    白菊は  花かあらぬか 浪のよするか  菅原朝臣
457番    のしづくを  いかが咲き散る と見ざらむ  兼覧王
459番    浪の花  沖から咲きて 散りくめり  伊勢


 
        また、「わたつみ−浪」を使って、「かざしに挿す」としている次の読人知らずの歌も似たような感じを受ける。

 
911   
   わたつみの   かざしにさせる  白妙の  浪もてゆへる   淡路島山
     

( 2001/09/25 )   
(改 2004/03/08 )   
 
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