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歌の意味は、五月山の梢が高いのでそこに鳴くホトトギスの声ははるか遠く空の中で響くが、それと同じでこの私もいくら泣いてもむくわれない、むなしい恋をすることかな、ということ。 「鳴く音空なる恋」というフレーズは、意味が抽象的であるものの、印象深く、記憶に残りやすい。
この歌の "五月山" が実際の山の名前かどうかは不明で、ホトトギスを出すための序詞である可能性もある。 "梢を高み" とは 「梢が高いので」ということだが、一見何故ここに理由を表す 「み」がついているのかわかりづらい。これは 「梢が高く、空に近い」、つまりいわゆる 「うわのそら」ということも指しているようである。 「空」という言葉を使った恋歌の一覧については 481番の歌のページを、「〜を+形容詞の語幹+み」というかたちを持った歌については 497番の歌のページを参照。
恋歌二に置かれたこの歌は、恋歌一にある 498番の読人知らずの「うぐひすの 音に鳴きぬべき 恋もするかな」という歌を発展させたものとも見ることができ、その線で考えれば、「うぐひす」の歌の 「ほつえ(=上の枝)」を高い 「梢(こずえ)」として、季節を春から夏に進ませたとも考えられる。あるいは単純に恋歌一のはじめの歌、469番の「あやめも知らぬ 恋もするかな」の別バージョンのようにも見える。 「恋もするかな」で終わる歌の一覧は 490番の歌のページを参照。また、「音に鳴く」という表現を持つ歌の一覧は 150番の歌のページを参照。
夏歌には、同じ貫之の 「ホトトギス−空−鳴く」という言葉が使われている次のような歌もある。
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