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- せきあへず ・・・ とどめることができない
- たぎつ瀬 ・・・ 水が激しく流れる川瀬
安倍清行が真静法師の法話を聞いて、それを元に、つつんでも袖にたまらない「白玉」は貴女に逢えない私の涙なのです、と言ってきたものに対する返しの歌である。元が法華経の「衣裏繋珠の譬え(えりけいじゅのたとえ)」であるとすれば、この小町の歌の出だしは、経文の中の次の部分を使ったものであると言えよう。
甚為痴也 (はなはだこれおろかなり)
これは親友が衣の裏に宝玉をかけておいたのを知らずに、長い間苦労して自活してきた人を、その親友が見て言った言葉である。
歌の意味は、玉になるぐらいの涙なら大した事はない、私の方は堰き止められないほどの激流になっていますよ、ということ。軽い返しであまり深刻な感じはしないが、古今和歌集の配列で見ると、552番から 554番にかけて 「夢に逢う恋」を詠っていた小町が、555番の素性法師の 「つれなき人」の歌を経由して、今度は自分がつれない言葉を返す立場になっているという趣向に見える。
"おろか" という言葉は古今和歌集の他の歌には見られない言葉である。一方 "たぎつ瀬" という言葉は、冬歌に一つ、恋歌にあと四つ現われる。
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