からことといふ所にてよめる | 真静法師 | |||
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「からこと」という場所では、浪を弦として張って風がそれを弾いている、という歌である。 "浪のをすげて" という表現が少しわかりづらいが、重なって寄せてくる波頭を琴の糸に見立てたものか。 同じ 「からこと」を詠んだ歌に 456番の安倍清行の歌がある。そちらは物名に採られており、この真静法師の歌は雑歌上に置かれている。その作成の動機が物名の歌として作られたかどうか、ということは別として、同じ 「所の名」であるのに、その違いはどこからくるのだろうか。 [安倍清行] けさカラコトに 聞こゆるは (物名) [真静法師] ひびきかよへる カラコトは (雑歌下) ・清行の歌の方は 「今朝から異に」の中に 「からこと」を隠している。 ・真静法師の歌の方は、「からこと」という場所を 「唐琴」に合わせている。 ということで、この歌の 「からこと」は掛詞だから、という理由になりそうである。清行の歌も、もし 「今朝、「からこと」という場所で 「唐琴」のように、聞こえるのは」としか見ることができなければ、それは掛詞と判断されたものと思われる。ただ、どう見ても掛詞であるのに物名の部に分類されている歌もあり、それがこの歌と同じ作者、真静法師の 453番の「わらび」の歌である。 [真静法師] 誰かワラビと 名づけそめけむ (物名) 古今和歌集の物名の部には、折句なども含まれているので、「物名の部にある」ということと 「物名の歌である」ということは、厳密には区別しなければならないが、単に「物の名を詠みこんでいるから物名」というのでは、この二つの「からこと」が分かれていることの説明がつかない。 「物名:隠されている感じ」 「掛詞:掛けられている感じ」ということで区別されているようである。その意味で上記の真静法師の「わらび」の歌(および 422番の藤原敏行の 「うぐひす」の歌)は、特殊な例外であると考えられる。 この歌では、風が弾きそして運ぶという琴の音には、上空から広げた大風呂敷のようなスケールと大雑把さが感じられるが、より繊細に、風の中に琴の音を聞くという趣向の歌としては次の忠岑の恋歌がある。 |
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( 2001/08/18 ) (改 2004/02/03 ) |
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