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       題しらず 清原深養父  
665   
   みつ潮の  流れひるまを  あひがたみ  みるめのうらに  よるをこそ待て
          
     
  • みるめ ・・・ 海草の名前 (海松布)
  清原深養父は生没年不詳、930年従五位下。清少納言の曾祖父。古今和歌集にはこの歌を含め十七首が採られている。
満ち潮が流れていてまだ干ることのない昼間は逢いづらいので、海松布が浦に寄る夜まで逢うことを待っています、という歌。最後の 「待て」は一見、命令形のように見えるが、「こそ+已然形」の係り結びである。

  「満ち潮−干る−潟−海松布−浦」という縁語の中に、「干る間−昼間」「寄る−夜」「海松布−見る目(=逢うチャンス)」の掛詞を入れているものである。 「みるめ」という言葉を使った歌の一覧は 669番の歌のページを参照。 "あひがたみ" の中に 「潟」(潮が引いている時に現われる遠浅の場所)が含まれている。 「み」は 「(あひ)難し(かたし)」という形容詞の語幹についた理由を表わす接尾語である。 「〜を〜み」という歌の一覧については 497番の歌を参照。 「あふことかたし」と言っている歌については 765番の歌のページを参照。

  この歌と同じ 「こそ待て」で終わる歌に、次の読人知らずの歌がある。

 
694   
   宮城野の  もとあらの小萩  露を重み  風を待つごと  君をこそ待て  
     
        深養父の歌の方は複雑でやや言葉がぎくしゃくしているもののよく練り込まれている感じで、417番の「ふたみのうらは あけてこそ見め」というの藤原兼輔の歌を思い出させる。ただ、調べとしては読人知らずの 「宮城野」の歌の方がなめらかで好ましい感じがする。

 
( 2001/07/31 )   
(改 2004/03/05 )   
 
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