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- かづく ・・・ 潜って採る
- みるめ ・・・ 海草の名前 (海松布)
- あく ・・・ 満足する (飽く)
伊勢の海人が朝夕に潜って採るという海松布のように、私もあの人に満足するまで会える手段があったらなあ、という歌。
"朝な夕な" の「な」は接尾語で、「朝な朝な」などの言葉にも使われている。 「朝な」という言葉を使っている歌の一覧については 16番の歌のページを、"かづくてふ" の 「〜てふ」という表現を持った歌の一覧は 36番の歌のページを、 「海松布−見る目」という掛詞が使われている歌については 669番の歌のページを参照。 "あくよしもがな" は、「飽く+よし+もがな」で、ここでの 「飽く」は 「飽きる」ということではなく、満足するということ。 「よし(由)」を使った歌の一覧は 347番の歌のページを、「もがな」を使った歌の一覧は 54番の歌のページを参照。
また、この歌は万葉集・巻十一2798にある次の歌をベースにしたものと考えられている。
伊勢の海人の 朝な夕なに 潜くといふ 鰒(あわび)の貝の 片思ひにして
他に 「伊勢の海人」が出てくる歌は、510番の「伊勢の海の 海人の釣り縄 うちはへて」という歌や、次の読人知らずの歌があり、1006番の伊勢の長歌でも 「年へて住みし 伊勢の海人も 舟流したる 心地して」と使われている。
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