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       題しらず 読人知らず  
683   
   伊勢の海人の  朝な夕なに  かづくてふ  みるめに人を  あくよしもがな
          
     
  • かづく ・・・ 潜って採る
  • みるめ ・・・ 海草の名前 (海松布)
  • あく ・・・ 満足する (飽く)
  
伊勢の海人が朝夕に潜って採るという海松布のように、私もあの人に満足するまで会える手段があったらなあ、という歌。

  "朝な夕な" の「な」は接尾語で、「朝な朝な」などの言葉にも使われている。 「朝な」という言葉を使っている歌の一覧については 16番の歌のページを、"かづくてふ" の 「〜てふ」という表現を持った歌の一覧は 36番の歌のページを、 「海松布−見る目」という掛詞が使われている歌については
669番の歌のページを参照。 "あくよしもがな" は、「飽く+よし+もがな」で、ここでの 「飽く」は 「飽きる」ということではなく、満足するということ。 「よし(由)」を使った歌の一覧は 347番の歌のページを、「もがな」を使った歌の一覧は 54番の歌のページを参照。

  また、この歌は万葉集・巻十一2798にある次の歌をベースにしたものと考えられている。

    伊勢の海人の 朝な夕なに 潜くといふ 鰒(あわび)の貝の 片思ひにして

  他に 「伊勢の海人」が出てくる歌は、510番の「伊勢の海の 海人の釣り縄 うちはへて」という歌や、次の読人知らずの歌があり、1006番の伊勢の長歌でも 「年へて住みし 伊勢の海人も 舟流したる 心地して」と使われている。

 
509   
   伊勢 の海に  釣りする 海人 の  うけなれや  心ひとつを  定めかねつる
     

( 2001/07/31 )   
(改 2004/02/18 )   
 
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