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下野雄宗(しもつけのおむね)は生没年および仔細不明。古今和歌集に採られている歌はこの一首のみ。似たような名前でやはり伝不詳の人として、 832番で「今年ばかりは 墨染めに咲け」と詠ってる上野岑雄(かむつけのみねお)がいる。
歌の内容は、曇りの日の影のようになったこの身は、目には見えないけれどあなたのそばは離れません、ということ。微妙な歌である。
影がくっきり出る晴れの日と比べ、影の見えない曇りの日ということを、恋のお天気マークとして言っている。問題は "目にこそ見えね" という部分で、これを 「あなたの目には見えないでしょうけれど」というニュアンスでとると、灰色の保護色で曇りの日に身を隠す蜘蛛のようで不気味である。そう考えると "我なれば" という言い方も自己顕示欲の強いストーカーのような感じがしないでもない。 「吹く風の 目に見ぬ人も 恋しかりけり」という475番の貫之の歌とは明らかにトーンが違う。
「くも」といえば 「蜘蛛」を詠った 225番の文屋朝康の「つらぬきかくる くもの糸すぢ」という歌があるが、「蜘蛛」にはあまり良いイメージがない。ただ、これを 「ささがに(笹蟹)」と言えば何かかわいらしい感じがするので不思議である。
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