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       返し 小野貞樹  
783   
   人を思ふ  心の木の葉に  あらばこそ  風のまにまに  散りも乱れめ
          
     
  • まにまに ・・・ ままに・まかせて
  この歌は一つ前の 782番の「今はとて 我が身時雨に ふりぬれば」という小野小町の歌への返しであり、
あなたを思うこの心が木の葉なら、風のままに散り乱れることもあるだろうが、という歌。

  「心の木の葉に」の部分は「心木の葉に」と「の」が入らないかたちの伝本も多い。
  "あらばこそ" は、740番の歌の「ゆふつけ鳥に あらばこそ 君がゆききを なくなくも見め」と同じ 「未然形+ばこそ」で、反語を表している。ただし、259番の「色いろことに 置けばこそ 山の木の葉の ちぐさなるらめ」や、298番の「たむくる神の あればこそ 秋の木の葉の ぬさと散るらめ」の 「置け」や 「あれ」のように 「已然形+ばこそ」であるものは、反語ではなく単に 「こそ」が仮定を強調しているものである。

  元の小町の歌に「言の葉さへに うつろひにけり」とある 「うつろふ」はどちらかというと色が変る・色が褪せるという感じであるが、この貞樹の歌では 「うつろふ」という言葉が 「散る」という意味でも使われることを利用して "散る" という言葉で受けている。 「うつろふ」という言葉を使った歌の一覧については 45番の歌のページを参照。また、元の歌の「我が身時雨に ふりぬれば」という部分を「風で木の葉が降る」という譬えで、やんわり返しているようにも見える。言葉遣いは凡庸だが包容力を感じさせる歌である。

  次の恋歌四にある素性法師が女性の立場に立って詠んだ歌は、この小町と貞樹の歌を元にして作られたもののようにも思える。

 
714   
   秋風に  山の 木の葉の    うつろへば    人の心 も  いかがとぞ思ふ
     
        「まにまに」という言葉を使った他の歌の一覧は 129番の歌のページを参照。

 
( 2001/08/31 )   
(改 2006/02/05 )   
 
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