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嘆き尽くしている時でさえ、ふと、物悲しく思えるのは、いったいどこを偲んで流れる涙なのでしょう、という歌。涙なんか流してもしょうがないのに、と思う涙でまた悲しくなる、という感じか。
「かなし」には 「愛しい」という意味もあり、805番の「などか涙の いとなかるらむ」という歌と並べると、この歌の場合も 「わびはつる時さえ、愛しく思えるのは」というようにも考えられるが、後半の 「しのぶ涙」と合わないような気がするので、ここでは 「悲しい」という意味にとっておく。ただし本居宣長は「古今和歌集遠鏡」の中で、「此かなしきは。いとほしく思ふ意也。さて三の句と。しのぶ涙といへる詞とを。たがひに相まじへて心得べし。」と述べ、同じ理由から 「愛しい」の方であるとしている。 「かなし」を使った歌の一覧については 578番の歌のページを、「しのぶ」については 505番の歌のページを参照。また、「さへ」を使った歌の一覧は 122番の歌のページを参照。
またこの歌の "いづこ" は、「どこの誰を」というように見ることもできるが、相手にはもう 「わぶ」ことが果てていることを考えれば「人を偲ぶわけではないなら、どこを偲ぶ涙なのか」と 「誰」を入れずに 「場所」だけの意味にとっておいた方がよさそうに思われる。 「わぶ」という言葉を使った歌の一覧は 937番の歌のページを参照。 「出口なし」という感じは、続いて置かれた次の藤原興風の歌でも詠われている。
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