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- あさぢふの ・・・ チガヤで覆われた場所 (浅茅生の)/小野の枕詞
- 小野 ・・・ 野原
- しの原 ・・・ シノが茂っている野原
一つ前の504番の歌と "人知るらめや " という言葉を引き継ぐように置かれている。忍んで偲ぶとしても、あの人はこの気持ちを知るだろうか、それを告げる人がいなければ、という歌。はじめの 「人」は思う相手のことで、二つ目の 「人」はまわりの人々ということである。 「しの」の繰り返しと共にこの 「人」の繰り返しが歌のリズムを生んでいる。
"あさぢふの" という言葉は「小野」がその後ろに続くと、それに掛かる枕詞と考えられるが、790番の「枯れゆく小野の あさぢには」というように使われている例もある。ここでは "あさぢふの 小野のしの原" までが、「しのぶ」を導く序詞で、「しの原」が「しのぶ」に掛かっていて、「浅茅(チガヤ)−篠(シノ)−しのぶ(ノキシノブ)」という草の名つながりと見ることもできる。
古今和歌集の配列からいえば、この歌の 「しのぶ」は 「忍ぶ」と考えられるが、それが 「忍ぶ」か 「偲ぶ」かという問題は少し微妙である。 「忍ぶ」と 「偲ぶ」のそれぞれの本来の意味は、
- 忍ぶ ・・・ 人目を避ける/我慢する
- 偲ぶ ・・・ 思い慕う/なつかしむ/賞賛する
ということで、この歌の場合 「偲ぶけれども−あの人はそれを知らない」というようにも見える。次の貫之の歌のように 「恋ふ」というような言葉が歌の中に出くれば 「忍ぶ」とわかりやすいのだが、それがないためである。
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