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- しづく ・・・ 沈んでいる
- さやか ・・・ はっきり (清か)
- 御影 ・・・ 姿
詞書にある 「諒闇(りょうあん)」とは天皇がその父母の死にあたって喪に服すること。誰の諒闇なのかということを考えてみると、小野篁は 802年生まれ、852年没なので、まず考えられるのは、
- 嵯峨天皇の父[桓武天皇]・母[藤原乙牟漏]
- 淳和天皇の父[桓武天皇]・母[藤原旅子]
- 仁明天皇の父[嵯峨天皇]・母[橘嘉智子]
- 文徳天皇の父[仁明天皇]・母[藤原沢子]
だが、このうち、桓武天皇(806年没)、藤原乙牟漏(790年没)、藤原旅子(788年没)は小野篁が幼い頃か、生まれる前なので外すと、残りは、
- 仁明天皇の父[嵯峨天皇(842年七月没)]/仁明天皇 在位:833年三月〜850年三月
- 仁明天皇の母[橘嘉智子(850年五月没)]/仁明天皇 在位:833年三月〜850年三月
- 文徳天皇の父[仁明天皇(850年三月没)]/文徳天皇 在位:850年四月〜858年八月
- 文徳天皇の母[藤原沢子(839年四月没)]/文徳天皇 在位:850年四月〜858年八月
となる。さらに、このうち藤原沢子は明らかに没した年が早く、橘嘉智子は息子の仁明天皇より後に亡くなっているので外すことができる。天皇が在位中にその父母が亡くなるという条件であれば、仁明天皇もはずれるが、847番の遍照の歌の詞書に、仁明天皇の崩御時のことして 「諒闇になりにければ」とあるので、可能性としては残る。つまり、この歌の "君が御影" は、嵯峨天皇か仁明天皇でないかと思われる。
また、この歌と続く二つの歌が古今和歌集の中にあって天皇を悼む歌となっているが、配列の順として本当にこんな位置でいいのか、と思うような中途半端な場所に置かれている。このあたりが撰者たちの意図がわからない古今和歌集の不思議なところでもある。
歌の意味は、池の中に沈んで映る花の色が水の表面にはっきりと映るように、自分の心には亡くなったあなたの姿がはっきりと浮かびます、ということ。 「さやか」 「思ほゆ」という言葉が効果的で、静かな美しさのある歌である。 「清か」(=はっきりとしている)ということを詠った歌の一覧は 169番の歌のページを、「思ほゆ」という言葉を使った歌の一覧は 33番の歌のページを参照。
池に映る花の影のイメージは 275番の友則の「池の底にも 誰か植ゑけむ」という菊の歌を思い出させる。
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