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       身まかりなむとてよめる 藤原惟幹  
860   
   露をなど  あだなるものと  思ひけむ  我が身も草に  置かぬばかりを
          
     
  • あだ ・・・ はかない・移ろいやすい (徒)
  藤原惟幹(これもと)は伝不詳の人物で、古今和歌集に採られている歌もこの一首のみである。

  
露をどうしてはかないものと思ったのだろうか、この自分の命も草の上に置かないというだけの違いであるのに、という歌。 「あだ」という言葉を使った歌の一覧は 62番の歌のページを参照。

  「露が−草に−置く」という歌としては次の友則の物名の歌があり、451番の「命とて 露をたのむに かたければ」という在原滋春の物名の歌と並べて見ると、死の床の周りにいる者たちは 「虫」のようにその 「露」の消えるのを見ているというイメージが思い浮かぶ。

 
440   
   秋ちかう  野はなりにけり  白露の    おける草葉も   色かはりゆく
     
        また、この惟幹の歌の口調は、112番の「世の中に 我が身も共に あらむものかは」という読人知らずの歌を連想させ、どこか 675番の歌の「我が名は花に 春霞」というフレーズも思い出させる。 
「など/などか」という言葉を使った歌の一覧は 155番のページを、「〜ばかりを」という表現を使った歌の一覧は 444番のページを参照。

 
( 2001/11/19 )   
(改 2004/02/24 )   
 
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