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       題しらず 読人知らず  
866   
   かぎりなき  君がためにと  折る花は  時しもわかぬ  ものにぞありける
          
     
  • 時しもわかぬ ・・・ 季節など関係のない
  この歌には 「ある人のいはく、このうたはさきのおほいまうちぎみのなり」という左注がついている。 「さきのおほいまうちぎみ」とは、藤原良房のこと。厳密に言うと、7番の歌の左注や、830番の歌の詞書では 「さきのおほきおほいまうちぎみ」(=前の太政大臣)であるのに対し、この歌の左注では 「さきのおほいまうちぎみ」(=前の大臣)であるが、同じ良房を指しているものと一般的に考えられている(ただし、
「古今和歌集全評釈  補訂版 」 (1987 竹岡正夫 右文書院 ISBN 4-8421-9605-X) では「誰とも不明」と書かれている)。 ちなみに伊勢物語の第九十八段では、「昔、おほきおほいまうちぎみときこゆるおはしけり。」となっている。

  
限りないあなたのためにと折る花は、季節など関係なしに咲く花でした、という歌。 "時しもわかぬ" の 「わく」は四段活用の「分く」で、「区別する」ということ。「時(を)わかず」は、「季節に関係なく・いつでも」という意味で、 「時しもわかぬ花」とは普通に考えれば造花のことであろう。もちろん、造花を 「折った」ということではなく、枝のついた造花を、今、幹から折ってきたという見立てで言っているものと思われる。ただし、上記の伊勢物語の第九十八段が、この歌を元にしたと思われる次の歌を載せて、「とキシもわかぬ」にキジを掛けて「梅の作り枝に雉をつけて奉る」と言っているのは少し行き過ぎか。

    わがたのむ  君がためにと  折る花は  時しもわかぬ  ものにぞありける

    造花の歌としては、445番の文屋康秀の物名の「花の木に あらざらめども 咲きにけり」の歌が有名であるが、この歌の 「時しもわかぬ花」は、一つ前の読人知らずの次の歌からプレゼント関係として続けて見ると、単なる造花ではなく、「竹取物語」の 「蓬莱の珠の枝」のような豪華な工芸品であるような感じもする。

 
865   
   うれしきを  何につつまむ  唐衣  袂ゆたかに  たてと言はましを
     
        また、この歌の "かぎりなき" という言葉は、次の「かへしもののうた」を思い出させる。

 
1085   
   君が代は  かぎりもあらじ   長浜の  真砂の数は  読みつくすとも
     
        ただ、次の読人知らずの歌はこの歌と似て 「時はわかねど」と 「かぎり」という言葉を使っているが、同じ 「かぎり」でもそれは 「頂点」( peak )という感じなので、「かぎりなし」の 「かぎり」の「限界」( limit )というのと少し感じが異なる。 「かぎり/かぎりなし」という言葉を使った歌の一覧は 187番の歌のページを参照。

 
189   
   いつはとは  時はわかねど   秋の夜ぞ  物思ふことの  かぎりなりける  
     
        一方、古今和歌集の配列の順で見ると、この歌の 「君がためにと折る花」は、「大切なもの」というイメージで、続く次の読人知らずの歌の 「一本の紫草」に続いてゆくように見える。

 
867   
   紫の  ひともとゆゑに   武蔵野の  草はみながら  あはれとぞ見る
     
        「〜にぞありける」という表現を使った歌の一覧は 204番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/23 )   
(改 2004/03/15 )   
 
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