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       題しらず 読人知らず  
905   
   我見ても  久しくなりぬ  住の江の  岸の姫松  幾世へぬらむ
          
        年老いた自分から見ても、住の江の岸の姫松はずいぶん長い間立っている、いったいどのぐらいの歳月を経てきたものか、という歌。もちろん人間の寿命と松の寿命比べをしているわけではなく、自分より年長の者が少なくなってきている状況での感慨を松に寄せて詠っている歌である。

  "姫松" は小ぶりな松の種類のこと。この歌に続く次の読人知らずの歌でも「住吉の岸の姫松」と詠われており、歌の内容もほとんど同じである。

 
906   
   住吉の    岸の姫松   人ならば  幾世かへしと   問はましものを
     
        「幾世」という言葉を使った歌には次のようなものがある。 「いくか(幾日)」という言葉が使われている歌については 18番の歌のページを参照。

 
     
905番    岸の姫松  幾世へぬらむ  読人知らず
906番    人ならば  幾世かへしと 問はましものを  読人知らず
934番    幾世しも  あらじ我が身を なぞもかく  読人知らず
984番    荒れにけり  あはれ幾世の 宿なれや  読人知らず


 
        「住の江(および住吉)」を詠った歌の一覧は 360番の歌のページを参照。 「経(ふ)」という言葉を使った歌の一覧については 596番の歌のページを参照。

 
( 2001/10/16 )   
(改 2004/03/07 )   
 
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