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       文屋の康秀みかはのぞうになりて、あがた見にはえいでたたじや、といひやれりける返事によめる 小野小町  
938   
   わびぬれば  身を浮草の  根を絶えて  さそふ水あらば  いなむとぞ思ふ
          
     
  • いなむとぞ思ふ ・・・ 行こうかと思います
  詞書の意味は 「文屋康秀が三河の掾(ぞう:国司の三等官)になった時に 「県(あがた:任務地)を見に行きませんか」と、使いをよこした時の返し」ということ。歌の意味は、
寂しい思いをしているので、つらいこの身は浮草のようにふわふわとしていますので、誘う水があれば行こうと思います、ということで、「三河」の「河」に合わせた物言いである。

  "身を浮草" は 623番の歌の 「みるめなき 我が身を浦と 知らねばや」という部分にもあるように、「う」に 「憂」を掛けた言い方である。 「身をう〜」という表現を使った歌の一覧は 806番の歌のページを参照。また、"根を絶えて" という言い方は、976番の躬恒の「根を絶えて来ぬ」を連想させるが、この小町の歌の場合 「根」には 「音」が掛けられていないようである。 「さそふ」という言葉を使った他の歌としては、春歌上に次の友則の歌がある。

 
13   
   花の香を  風のたよりに  たぐへてぞ  うぐひす さそふ   しるべにはやる
     
        また、この歌と同じく 「わびぬれば」ではじまる歌としては、恋歌二に藤原興風の次の歌がある。「わぶ」という言葉を使った歌の一覧については、937番の歌のページを参照。

 
569   
   わびぬれば   しひて忘れむと  思へども  夢と言ふものぞ  人だのめなる
     

( 2001/10/25 )   
(改 2004/02/05 )   
 
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